「下水道のことを根本から考えてみませんか」下水道原論シリーズ第1話
 

まえがき 

[ なぜ、今このプレゼンテーションを掲げるのか、筆者が期待するものは何か ] 

先般、私は、三位一体改革で、流域下水道が国庫補助事業から除外すると言う地方6団体の、総理大臣の諮問に対する答申案(04年8月24日)に対し、このHP上で異論を述べました。 

その異論を考えたおり、「何ゆえ、流域下水道が国庫補助事業でなければならないのか」を論ずる事も大事だけれど、その前に、市民生活を支える根幹的都市施設たる「下水道と言うインフラ施設そのものの性格」を根本から検討し、きちんとした性格付けを行って、国民的合意を得ておく必要があるのではないかという事を痛感しました。 

下水道の人口普及率は平成15年度末に66.7%となり、今や国民3人のうちの2人が下水道の恩恵に浴し、都市・集落に下水道があるのが当たり前になっています。しかし、国民一人一人は、それを誰が築造し、誰が管理しているのか、築造や管理に必要な費用を一体誰が負担しているのかについて余り深く考えていません。多くの国民は、「下水道はお上が造り、お上が管理するもの、これを利用する市民は使用料金を払っていればそれでよい。」と考えているだけです。 

これまではそれでもよかったのかも知れませんが、人口減少化が進む21世紀のこれからは、経済の縮小とともに、大増税でもしないかぎり、国・地方の財政は縮小せざるを得ませんから、現行の行政事務・事業は税金で負担すべきもの、使用料等を通して市民が直接負担すべきものに峻別される様になります。十分な根拠を持っていない限り、税金の投入や国・地方公共団体の関与が難しくなります。

中には、下水道法の第3条や25条の2には「下水道の設置、改築、維持、修繕其の他の管理は市町村又は都道府県が行う(固有の事務)」と書かれているではないかと言う反論もきこえてそうです。しかし所詮、法律は国民(の代表者)が定めたもの、国民が合意納得さえすれば改正することは簡単です。 

そんな事を考えると、「なぜ今の下水道事業が地方公共団体の仕事で、国が補助金を出し、起債償還に手厚い交付税処置をしているのか」、「なぜ使用料を市民だけから徴収して維持管理費に充てるのか」等について、理論的根拠を根本的に検討し、この際、国民的合意を得ておく必要があります。

別の言い方をすれば、下水道事業において、「私(個人)の役割」は何か、「公の役割」は何か、公の役割のうち、「国の役割」・「地方の役割」は何か、地方の役割 のうち、「都道府県の役割」・「市町村の役割」は夫々何なのかについて、良く考えておこうと言うことです。 

今から15年程前、私は同じような発想で、月刊「水道公論」にペン ネームを使って「やぶにらみ下水道原論」と題し、持論を展開したことがあります。その時の考え方は今もほとんど変わっていません。

この時の論文はやや冗長な面があり、実名でなかったこともあって読者の関心を持たれることもなく、反論や意見が呈される事もなく終わってしまいました。 

今回の三位一体改革における流域下水道事業の国庫補助廃止問題発生を機に、皆さんにも「下水道そもそも論」を考えていただきたいと思い、NPO21世紀水倶楽部のHP上に、この持論を分割して再度開陳することにしました。文章内容については読みやすいように、若干手を加えてあります。 

内容としては少し硬い話となりますが、暇を見付け、ぜひとも一度ご覧になって見てください。

そして、読まれた皆さんから色々活発なご意見を寄せていただければ幸いです。

この小論を叩き台として、皆さんの意見を交え、統合化・融合化が出来れば、きっと素晴らしい下水道原論が確立されるものと期待しております。


 

下水道のことを根本から考えてみませんか(第1話)

 

[1話は下水道の本質を考えるにあたってウオーミングアッのための「頭の準備体操」です。「個人」と「公(公共、国家とか権力)」について考えてみます。] 

序論 

一 街中の長元坊

昔、NHKテレビで、野性の隼、長元坊(チョウゲンボゥ)が都会で棲息している様子を記録した映像を見たことがあります。「長元坊」は本州中部で繁殖する小型の隼です。山間部や川沿いの崖にある穴に巣を造り、鼠や昆虫を主食にしています。ところが昭和60年代のそのころ、山梨県甲府市の街中にこの長元坊が住むようになりました。農薬の使用や宅地開発による餌不足が原因と思われました。NHKの番組は自然環境の変化に対応して、市街地を新しい生活の場にする長元坊の姿を紹介したものでした。

その中の一シーンにこんなところがありました。一羽の長元坊がビル街の谷間を縫ってゆうゆうと飛遊したあと、己が巣と覚しきビルのベランダに着地します。しばらくの間、飛遊中に捕獲したので餌を啄んで羽を休めます。ややあって、この長元坊はチョンチョンとベランダの縁まで寄り、くるりと向きを変え尻をベランダの外に向けました。そして、尾羽を上にあげたと思ったら、ビル街の谷底に向け縁には引掛らないようにポトーンと脱糞したのです。

話はたったこれだけのことです。しかし、そのときこのシーンを見て筆者は思わず考え込んでしまいました。「彼等隼(長元坊)もわが棲家の回りを清潔に保つことを知っている。」「清潔さの保持は動物の本能なのだろうか。」と。筆者にとっては極めて暗示的な画像だったのです。

「禽獣でさえ清潔を好む。人類が清潔や良好な環境を好むことは当り前の事ではないか。」

大きな環境の中で、人は基本的に、何物にも邪魔されることなく、自らの身の回りを清潔に保って生きる権利を持っているのです。

 

二 生物の生存と環境

生物、殊に微生物の世界では、環境さえ整えば、増殖によって、個体数は限りなく増え、その速度は時間の経過とともに爆発的に大きくなってゆきます。

しかし、空間的、食餌的な環境が一定の枠に抑えられると、微生物は捕食、摂取すべき食餌(栄養)の分け前が小さくなること、空間的な行動の自由度が奪われること、自らの代謝物のために増殖が阻害され、毒性で死滅に至ることなどが原因となって個体の数は途中から次第に減少していきます。

つまり、生物の生存には環境的な限界があるということです。かつて、地球上を潤歩していた恐竜達が滅亡してしまったのは、寒期が地球を襲ったことや、それによって捕食・摂取すべき食餌が不足したためだったことは良く知られているところです。

 

三、個人と集団

人間という動物はなかなか一人では生きられず、群を作って生きる動物です。群れの最も小規模のものが家族です。群れは集合してより大きな集団である集落とか郷とか国家を形成していきます。

大きな集団は「社会」とも呼ばれます。人間が個人とか家族の域を脱して集団化するのは、外敵から身を守ったり、大きな造営物を造ったり、収穫の様な膨大な作業を短期間で完遂させるなど、人が生存して行く上で必須の作業の中に、集団でなければ対応できない作業があり、その時に集団の力を借りられるからでもあります。

逆に集団である「社会」は、それを維持するため構成員たる個人を絶えず確保しておく必要があるのです。そして、そのために集団の名のもとでいろいろな行為が行われ、行為を指揮する人間が必要となってきます、統括者、統治者が生まれ、国家的な形体が整ってくるのです。この段階になると集団で行う作業にも分化や専門化が行われ、いわゆる国家とか社会が成立するようになります。

前述のように、人間は社会構造を形成しつつ生存する動物であり、社会から離れて孤独に生きることが難しい動物なのです。

一方、個体としての人間は、ルバング島の小野田さんやグァム島の横井さんの例に見られるように適当な環境と充分な空間さえ得られれば、一人でも生存してゆくことは可能です。逆の言い方をすれば人間が生存して行くためには最低限必要な環境とか空間というものがあるということです。

そして、その最低限の環境や空間を個人が維持できなくなったとき、国家とか社会は、それに代る何らかの手段を個人に提供する義務があるのです。というのは、社会(国家)はその構成員たる個人を、社会的または対外的な活動ができるような状態に保って、生存させていかなければならないからです。ここで、個人というのは成人だけではありません。老人も子供もみな含まれます。夫々退役者であり、予備軍だからです。

 

四 集積のメリットとデメリット

つぎに、人がたくさん集まってすむ集積について考えてみましょう。

人間が集中的に集合して住む都会には数々の便益、利便(Convenience)があり、それらを享受できるのだから、集合に伴って生ずるデメリットを都会人が受忍するのは当然だという考え方もあリます。集積における便益と不利益の相殺論です。

しかし、不利益を個人が受忍し、その解消のために何がしかの代償を払うにしても、先述のように少なくとも人の生存に係る基礎的な部分については、社会(公共)の責任において負担するものとして控除しておくべきではないでしょうか。

人を都会に集中せしめている原動力は個個人の動機のように思われますが、その動機を起こさせたのは社会の仕組みであり、それを動かす政治や経済の力なのです。つまり、個人は政治や経済という途方もなく大きな波動の中で揺れ動いているに過ぎず、非独立で100%社会依存形の行動をとっているに過ないのです。

このような観点からも、社会(あるいは国家、公共)は、最低限個人が生存していける状況を都市に提供する義務を背負っているのです。

 

(註1)集積のメリットとデメリット

メリツト

買物に便利、文化施設が多い、情報が迅速で多量、教育に便利、娯楽施設が多い、芸術や芸能鑑賞に便利、外食に便利、医療機関が高度で多い、交通至便、雇用の機会が多い

デメリット

公害の発生、地価の高騰、自然の喪失、環境の悪化、交通渋滞、物価高、通勤地獄、過密住居

 

五 社会の仕組み

人が群れを作り、群れが集落を作り、集落が郷となり、国家となってゆくことは前にも述べた通りです。

人が集団で生活するようになると、集団の中で強者と弱者の差が生まれ、強者は弱者を時に支配し、時.に保護するようになり、集団を統括する者が生まれます。

一方、集団化は、生存に必要ないろいろな作業について、それぞれが最も得意とすることを他人に代って行うという専門化と分業化をもたらします。分業化はある意味で生産性を上げ、集団としての富が蓄積されるようになり、その富が個人に適当に分配されると個人の生活水準は次第に向上します。そしてその集団は一層強固なものとなるのです。

こうして人間は社会・国家を発展させてきました。もちろん、この間には歴史の随所に見られるように、戦争とか革命とか、あるいは現在では考えもつかない残忍無道な行為を繰返してきたのではありますが。今後も、試行錯誤を重ねながら、社会の仕組を新しいものに変えていくというプロセスは限りなく続くことになりましょう。

いずれにせよ、現在の社会の仕組みは極めて複雑なものになっています。しかし、その根幹をなすものは「個人」と「社会」ないし「国家」との相関関係であり、その関係は、図―1に示すとおりなのです。

 

国家(社会)は、その構成員たる個人に対し、様々な責務を負い、個人はその責務サービスに対して「税」とか「役」をもって代償するという一種の契約の上に成立っています。もちろん、こうした契約関係だけでなく、国家への忠誠とか愛国心といった精神的な結びつきである場合もあるし、厳格な教義に基づく宗教的な結びつぎである場合もあります。しかし、それらの場合でも「ギブ・アンド・テイク」の関係は基本的に変らないと筆者は考えています。

個人が国家に対して負う義務は、税と、わが国にはありませんが兵役、それに子供の教育などです。一方、国家・社会が個人に対して負う責務としては、順不同であるが次のようなものがあげられます。

@治安・秩序の維持(警察・裁判)

A外敵からの保護(防衛)

B災害の防除・復旧(国土保全・消防)

C社会資本の整備(公共事業)

D労働力の更新(教育)

E弱者の救済(社会福祉、医療)

F流通通貨の管理

G食糧の確保

Hエネルギーの確保

I緊急時の情報管理

などである。

個人にとって、国家は権威であると同時に保護者としての役割を持っています。反対に国家にとって、個人はその構成員として欠くことのできないものなのです。

 

[閑話休題:国家と国民の関係を考えるための事例]

 

野火止用水という用水路が、東京の西武蔵野台地を南西から東北に向かって走っています。この用水の上流部は玉川上水です。かれこれ20年程前から、この玉川上水には高度処理した下水処理水を注ぎ入れて、清流の復活を図り、これがマスコミを賑わせたので知っている人も多いと思います。

野火止用水は、金井英治氏(新都市629月号)によりますと、徳川初期、智恵伊豆として高名をはせた幕閣(老中)松平伊豆守信綱が三千両の大金と数百人の農夫を動員、僅か40日で仕上げたものだそうです。

信綱は、秀忠、家光時代に生き、徳川政権永続の礎を築いた幕府初期の高官であすが、島原の乱平定の功により、忍城主から川越城主に移封となり、一万五千石の加増を受けました。加増を受けるに際し、信綱は、外武蔵野(野火止)の荒野五千石分を特に願い出、それが受入れられました。そしてこの地に新田を開発することを志し、農家55戸を移住させたのです。

しかし、武蔵野台地は湧水もなく、農業用水はおろか飲料水にも事欠く状態でありました。

移封に際して信綱はまた、先祖を弔う菩提寺を自領地に建立することを発心、その地をこの野火止に求めました。寺の名を平林寺といいます。現在では全国から多くの雲水を集める曹洞宗の修行道場として、また古い武蔵野の面影を残す名刹として名が知られ、訪れる観光客も少なくありません。

ところが、建立当時、野火止の台地は人々の住めない荒野であり、菩提寺を築造する前に人々が住める緑地に開発しなおす必要がありました。

ところで、家康入府後、関東の貧村江戸は日に日に膨張を続け、太田道灌が築いた頃の城や城下は様相を全く変え、実質的な日本の首都として躍進を続けました。

都市の発展には欠かせないのが水です。もともと一部の地下水以外に良質な水に恵まれない江戸では、人が多くなると掘井戸くらいでは間に合わず、良好な湧水や川の水をどこからか引入れる必要が出てきました。そしてまず井の頭池、善福寺池、妙正寺池など湧水池が発見され、導水されました。これが神田上水です。

しかし、これだけでは水量が足らず、新たな水源が求められ、多摩川からの導水(玉川上水)が幕府によって計画されました。信綱は自らこの上水工事の総奉行となり、多摩の地主であった玉川兄弟に命じて工事を完成させたのです。玉川兄弟はこの工事に相当私財を注ぎ込み、代りに管理権を得たといいます。

玉川上水は、甲州に源を発した多摩川が山間部を出て、扇状地を流れる辺り、羽村に堰を築いて川水を導入し、延々と武蔵野台地を自然流下で流下させ、四谷大木戸に至る全長約43キロメートルの用水路です。巨額の工事費を費やし、人海戦術で関東ロームを穿って幅23間、水深1間ほどの水路としたものです。

一方、「野火止用水」は信綱の家臣で土木技師である安松金右衛門が玉川上水の工事中にその建設方を献策したものです。現在の小平市小川町地点で玉川上水を分水して武蔵野台地を斜めに走り、川越までの舟運用に浚渫された新河岸川に、志木で落そうというものでありました。

信綱はこの金右衛門の策を入れ、江戸町民の食糧確保のための新田開発に必要ということで、玉川上水の水を自領野火止に分水する許可を幕府から得ました。用水路築造工事は金右衛門の指揮でごく短期間に終了して武蔵野台地は潤い、農業生産高も数倍から十倍にはね上りました。

しかし、史家によれば工事費3000両というのは当時はとてつもない大金で投資効率は極めて低いものだったはずといいます。それにも係らず、藩財を投じて信綱が野火止用水開削に踏切った理由は何でしょうか。その史家の解釈によれば、信綱の先祖の菩提寺平林寺そのものに水をもたらすということもありましたが、周辺の荒地の開墾を可能とすることによって新田を開き、農民を定着させて賑わし、併せて藩の増収を図って民福増進に努めようとしたのではないかということです。

 

このように領主は領民の定着を図るため投資効果が悪いにもかかわらず、3,000両もの大金を使って水を確保することに努力していたのです。封建社会であるこの時代、国(あるいは権力)を代表する者は領主であったわけですが、個人対国家()という構造は基本的に現代と変るところはないのです。

 

(1話:おわり)

安藤茂

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