琵琶湖流域下水道湖南中部浄化センター敷地造成工事の思い出-2
|2|            今堀 吉一  

 機械脱水については濁水処理同様に高分子凝集剤を使用しない条件で工法選定を行い、結果、泥水式シールド工法で実績のあった圧搾式フィルタープレスを採用することとした。脱水助剤には石灰を使用したので汚泥はかなりアルカリ性となっているため、汚泥の搬出先である現計画の6系辺りを掘削すると強アルカリ性の粘性土が出てくると思われるので注意が必要である。
また、パークゴルフ場跡地周辺(埋立完了後、暫定的にゴルフ場として利用されたものの現在では廃止された場所)は大量の凝沈汚泥が貯留されることとなったが、そのまま工事を続行すると貯留した汚泥が再び流出してくるため、この汚泥をロープネット工法で封じ込め、その上で覆砂した。ロープネット工法とは超軟弱な粘性土からなる埋立地盤の表面にシートと格子状のロープを配置して、地盤の流動破壊や搬出土砂のめりこみを防ぎながら覆土を施工する工法である。覆砂した上には仮設の浅池をつくって汚泥の天日乾燥床とした。

3.処理場の建設
敷地造成工事が着々と進んでいくなかで、下水処理施設の建設も同時並行して着手されることとなり、昭和54年にはまずポンプ棟の連続地中壁工事が開始された。下水処理施設の一連の工事は日本下水道事業団に委託され、県からは中山繁氏、堀井孝郎両氏が事業団に出向された。一連の工事で特筆すべきは島内に仮設の生コンプラントを建設したことである。島内への資材輸送は台船による湖上輸送しかなく、生コン車を台船に乗せて運ぶ方法では処理施設のコンクリート打設に必要な量が全くまかなえず、検討の結果場内に生コンプラントを建設することとなったのである。なお積算上はこの方法による方が生コンを購入し湖上運搬するよりも安価となり、敷地造成工事で使用した生コンもこのプラントで製造したものを使用した。
陸地と処理場を結ぶ管理橋梁の建設も敷地造成工事と並行して進められ、敷地造成工事の完成に先立ち通行可能となったが、地元との調整が整わなかったため、工事資材の搬入は行えず、まずは工事関係者の出入りのみが可能な状態がしばらくの間、続くこととなった。この橋の名前は地元から募集され「矢橋大橋」と命名された。

4.おわりに
琵琶湖流域下水道の基本計画が策定されて40年が経過し、この間に湖南中部処理区の全体計画は当初の日処理能力102万m3から49万m3に縮小され、結果的に敷地の半分は未利用地として残ることとなった。ここは将来の改築時の用地として使用されることに位置づけられたが当面は近隣住民の憩いの場として、また平成26年度にはかつて浚渫汚泥を天日乾燥した場所に大規模太陽光発電施設が設置されることとなった。
浄化センター敷地工事の完成からもすでに30年以上が経過し、造成工事に合わせて植樹された木々は大きく茂り、長靴でなければ歩けなかった場所も今は近隣の住民のみならず他府県からも小さなお子さん連れが訪れる憩いの場と変わった。この事業に携わった多くの人々のなかの一人としてこの島が人々の生活のなかに溶け込み、親しまれることを願って拙文の終わりとしたい。