5, 溶融炉の出現

  流動焼却炉から発生する焼却灰粒子が小さく処分場での飛散の問題や、重金属の溶出の問題が起こりました。そこで重金属類を溶融することによりスラグの中に閉じ込め、溶出させない溶融炉が注目されだしました。                       (写真−3)

 
昭和60年(1985)に富山県土木部を中心に建設省土木研究所、日本下水道事業団技術開発部のメンバーによる「下水汚泥スラグ有効利用検討委員会」が発足しました。
 昭和62年(1987)には日本で初めての汚泥溶融炉(表面溶融炉)が富山県小矢部川流域下水道二上浄化センターで完成いたしました。また大阪府安威川流域下水道中央処理場でコークスベッド方式の溶融炉の運転が開始されました。
 平成に入ると日本下水道事業団を中心に広域汚泥処理エース事業が開始され、兵庫西、大阪北東広域汚泥処理センターでコークスベッドによる溶融炉、大阪南広域汚泥処理センターには表面溶融炉の採用が決まりました。
 平成に入ると各企業が溶融炉の開発に取り組みました。加古川市尾上処理場では抑制燃焼溶融炉、千葉市中央処理場では旋回溶融炉、平成3年には東京都南部スラッジプラントで旋回溶融炉が稼動し始めました。
 昭和62年(1987)に日本下水道事業団は日本全国の汚泥焼却炉を調査し「自燃焼却システムの評価に関する報告書」発行いたしました。