4, 流動焼却炉が主流に

 安価な高分子凝集剤の出現により脱水設備が遠心脱水機やベルトプレス方脱水機に代ってきました。立型多段炉では、高分子系汚泥は乾燥段でアンモニアガスが発生し燃焼排ガスと反応してシアンガスとなります。シアンガスは排ガス処理設備で水に吸収され水処理に返流されます。水処理の高度処理に生物硝化脱窒法を採用している処理場では活性汚泥や硝化菌が死に大問題になりました。

 昭和53年(1978)には武庫川下流流域下水道武庫川浄化センターで、多段炉と流動炉を組み合わせて一体化した、乾燥付き流動燃焼炉が採用されています。
昭和54年(1979)には尾西特定公共下水道管理組合、尾西処理場で乾燥乾留炉が採用されました
 昭和56年(1981)には桐生市境野処理場で低温加圧熱処理―階段式焼却炉が採用されました。また大阪府東部流域下水道事務所川俣処理場で低温加圧熱処理―熱分解多段炉が採用されました。この年代から発生する汚泥量が多くなり処分場での灰の飛散や、重金属の溶出の問題等により、汚泥の溶融処理実験が各地で行われました。
 昭和55年(1980)には、川崎市加瀬処理場でアーク式溶融炉が採用されました。また名古屋市や高岡市で重油消費量の少ない多段焼却炉が完成いたしました。発生する汚泥の問題から日本下水道事業団は広域汚泥処理構想を提案し、汚泥の集中処理の検討が始まっています。
昭和60年(1985)に、小規模の間接加熱蒸気乾燥機付き流動炉が群馬県伊勢崎市羽黒処理場に建設されました。