3,高分子系汚泥の出現

 カニの殻から抽出した高分子凝集剤が開発され、真空脱水機に代わり遠心脱水機が用いられだしました。未だこの時代の凝集剤は高価なものでしたが、石灰と異なり高分子凝集剤は焼却により分解するため、処分量は大幅に減らす事が出来ます。高分子系汚泥の焼却炉として流動炉が用いられだしました。
       (写真ー2)
昭和46年(1971)には豊明市豊明,横須賀市下町処理場で汚泥の高分子凝集剤添加による汚泥の脱水処理が始まり、汚泥処理が大きく変りました。脱水汚泥含水率が高くなるのと同時に汚泥の持つ発熱量が高くなり,今までの立型多段炉では、燃焼温度が高くなると同時に乾燥段でのシアンの発生が問題となりました。
昭和47年(1972)には札幌市豊平川処理場で熱処理法とボイラー付きの階段式焼却炉(ストーカ炉)が採用されました。
昭和48年には東京都北多摩一号処理場で熱処理(ファーラー法)が採用されています。また、藤沢市南部処理場では旋回流式回転炉(ルーカス炉)が採用されました。










                       写真−2
昭和48年(1973)には建設省、汚泥の熱処理装置の実施に関する調査が開始されました。
この熱処理法を改善した低温加圧熱処理法(165℃、9.5kg/cm2)を開発され、昭和53年(1978)に神戸市西部処理場に2トン/hr規模の熱処理―蒸気乾燥―表面溶融炉のテストプラントが建設され、5年間の実証実験が開始しされました。
 昭和52年(1977)に福知山市荒河処理場で汚泥蒸発乾燥設備(CGプロセス)が採用されました。この頃から横浜市、神戸市の汚泥の集中処理計画が始まり150トン/日規模の蒸気乾燥付き流動炉の開発が行われ、採用されました。一方、立型多段炉の改善法として空気抑制熱分解炉の開発が行われました。