─砂町で育って─        河野 和代
 2015.8        
 私は生まれも育ちも江東区砂町で、現在も砂町で暮らしています。 マンション近くには約4kmにもなる仙台堀川公園があり、桜や新緑、果実や紅葉など、 四季折々に目を楽しませてくれます。また釣り堀、川遊びの出来る親水施設などもあり、 年齢を問わず幅広く楽しめる公園になっています。また沢山の複合商業施設も出来て、 とても住みやすい街です。……

 と、今や住みやすい町といえるようになった砂町ですが、 私が小さかった昭和30年頃は、生ゴミなどを運ぶ、今のように改良されていない収集車が走ったりして悪臭が 酷く、蠅の発生も半端ではなかったのです。食事をするテーブルの上には、いつも蠅を 取るベタベタとしたハエ取り紙が天井からぶら下がっていて、信じられないかもしれ ませんが、酷い時にはそのハエ取り紙が真っ黒になることもありました。

 また、砂町は 地盤沈下が酷くゼロメートル地帯と言われ、雨が降るとすぐマンホールからは水が溢れ 出て、町一帯が水浸しになってしまいます。その頃は水洗トイレなどではなく汲み取り 式のトイレでしたので、汚い話ですが、雨が降ると当然汚物が外に出てきてしまいます。 本当に不衛生でした。そんな時の幼稚園への送り迎は何時も父がしてくれました。父はクリーニング店を営んでいましたので、お客様から預かった洗う品物を入れる大きな籠が自転車の後ろに付いています。その籠の中に私と妹を入れて幼稚園への送り迎えをしてくれました。それはそれで楽しかった思い出です。また遊びに関しては、そんな不衛生な状態なので当然水が引くまでは、母の目が光っていて外に 遊びには行けません。

 でも子供ですから水を見ると遊びたくなるもので、また近所には 金魚の養漁場があって、水が出ると金魚が溢れて出てくるわけで、その金魚を捕りに 行きたくて母の目を盗んでは妹や友達と外に遊びに出て、よく母に叱られたことが 懐かしく思い出されます。

 私の家には珍しい和船があって、水が出ると通り 向かいにあるお店にその和船に乗ってよく買い物にも行きました。 そんな不衛生で汚い状態であった砂町も、少しずつインフラ整備がされていき、雨が降ってもマンホールからは水は溢れず、トイレも水洗トイレになり、現在のような住み良い町に変わっていったのです。