5,洗濯                             水回り昭和の記録
洗濯は今も途上国でジェンダの問題として取り上げられるように、家庭の主婦にとって重労働の家事の一つであった。我が国でも例外でなく、主婦は家族の汚れた衣服をひとつひとつ手で洗っていた。この家事労働(手洗い)は戦後の昭和20年代後半まで続く。20年代後半になってアメリカの洗濯機に誘発されて国内の電機メーカーが電気洗濯機を製造販売しだしたからである。
5-1  タライと洗濯板
手洗い洗濯は井戸端の流しにタライをおき、水を汲んで汚れた衣服を漬け、固形の洗濯石鹸を擦りつけて、手揉み洗いするか、タライに立て懸けた洗濯板の上でゴシゴシ擦る。この作業、冬場はさぞ辛い家事であったろう。タライの水を何度も替えてすすぎ、一枚一枚取り出して手で絞る。考えただけでも身震いする作業である。昔の女性はよくやったと思う。
さてタライは漢字では「盥」と書く。表意として誠に判りやすいと思う。皿の中に溢れんばかりの水をためる様子を表しているからである。
直径60~75cm、深さ15~20cm位の深皿状の形態をしたものである。

材質は一般に木材で、風呂桶などと同様、木桶屋が作っていた。後年になると亜鉛引き鉄板をプレス加工したものが出回った。現在でも産湯ように使うことがあるが殆どラスチック製になっている。
洗濯板は幅20cm、長さ50~60cmの板で、厚さ20~25mmの板に波状の溝を彫りこんだものである。波模様は水ハケがいいように円弧状になっている。デコボコ道を評して「洗濯板の様な」と言うが、デコボコの溝の突出部に布が当たって中の汚れが水に排出されるわけだ。
先般、家内の大学時代の恩師が亡くなり、遺稿集が発行され、我が家にも送られてきた。家政学の大家だと言われる恩師の論文には、洗濯のメカニズムが詳しく論述されており、家政学と言う学問分野の存在意義を改めて確認した。
5-2  手回し脱水式電気洗濯機(撹拌棒水流型)
初期の電気洗濯機は水槽の中心に翼つきの撹拌棒を立て、粉せっけんを溶かした洗濯液に浸けた衣類を撹拌し、汚れを落とす仕組みである。すすぎも同じような撹拌動作で行い、それが終わると衣類を一枚一枚取り出して脱水機にかける。脱水は二つのスポンジローラーを締め付けるようにプレスし、ローラーはハンドルが付いていて手で回す。スポンジに挟まれた衣類からは2つのローラーに加圧されて水が絞りだされる。この洗濯機は爆発的に売れ、主婦達は洗濯の重労働から解放された。電気洗濯機と電気釜、それにミシンは第一次の3種の神器と呼ばれた。
5-3  遠心脱水式電気洗濯機
その後電気洗濯機は日進月歩。撹拌用のスクリューは水槽の底部に移動して、平らなパルセーターに変わり、脱水は水槽から水を落とした後、水槽内部の籠を急速回転させて遠心力を起し外側に跳ね飛ばす方式に変わった。


5-4 その後の進化(ドラム式、乾燥機付き等)
洗濯機は、さらに進歩、電機メーカーが色々なタイプの洗濯洋式を考案し、性能都価格を競うようになった。洗濯ものと洗剤、柔軟剤、漂白剤を小型の貯留タンクに注いでおき、スイッチを押しておけば最適な条件で洗いとすすぎ、脱水を行い、乾燥までやってくれる。人は乾いた洗濯ものを取り出し、皺を伸ばして畳むだけで済む。こうした洗濯工程を効率的に行うよう水槽と籠を斜めにしたものが目下の売れ筋になっている。