名古屋市広小路通の下水管工事(大正2年) 写真・説明 名古屋市上下水道局提供
   明治22年10月、市制が施行された頃の名古屋市は、市域面積が栄付近を中心とした現在の25分の1くらいの大きさで、雨が降れば浸水がおこりやすい状況でした。また、井戸水を飲用に使っていたので、近くの溝に放流されるだけであった汚水が井戸水に浸入し、衛生上たいへん深刻な問題となっていました。伝染病の流行を防ぎ、市民の健康を守るためにも、土地の水はけを良くし飲料水を清涼に保つことが最大の急務だったのです。
 そこで、名古屋市は下水道を布設することを決定し、創設工事に着手することになりました。
大正元年11月には、中区の伊勢山町など(東別院西一帯)に下水道が完成し、その後次々と下水道を利用できる区域が広がっていきました。
 この写真は、広小路通りの管渠埋設工事です。大正2年(1913年)。


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